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2025.7.27 平江潔
本日、第4回「第50回記念黄美展」企画会議でした。
ゆっくりですが、着実に歩んでいます。
今朝の佐賀新聞に「永松展」の投稿文が掲載されました。
ほぼ、原文通りです。
4月の投稿が不採用に終わったので、ちょっとへこんでいました。
以下、原文です。
「アートで育つ、アートと生きる」
今月の初めに高校大学の後輩にあたる永松敏彦君の個展を手伝いました。彼は自身の病と向き合いながら制作を続け、以前自分が描いた作品と再会し発表する決意をしました。
5月の中旬、私と永松君の共通の師である金子剛先生のアトリエを訪問した際に、先生自ら名尾和紙に裏打ちされた彼のパステル画を見せてもらいました。
その絵を見た瞬間に軽い衝撃が走り、作品の額装を申し出たことから個展の全面的プロデュースを引き受けることになりました。
 彼の作品は静謐な静物画や風景画がメインですが、彼が研究や勉強のためにパステルで描いた模写を並べました。マネやドガなどの印象派の画家の油彩画を写したものですが、単なる模写の域を超える独特の世界観が表現されていました。また、合わせて並べられた研究ノートや日記には、彼の誠実でひた向きな創作の足跡が残されていました。
 永松君の個展は多くの仲間たちや家族の献身的な協力があり実現しました。
 中学校の美術教諭を早期退職した彼ですが、高校や大学の同級生や元同僚の先生方、親類はもちろん近隣の知人友人、多くの方々が来場されました。6日間の会期中、彼は毎日在廊し会場は温かい愛情に包まれていました。
 私自身も絵を描いたり、アート作品を造ったりしていますが、もう一度自分の創作姿勢を見つめ直すきっかけになりました。私は3年前から障害者通所施設「ライフステージ多久」でアート教室を担当しています。毎週休まずに続けることで、利用者の方々の創作意欲や表現力が日に日に高まっていく姿を目の当たりにしてきました。中には世界的なコンクールで入賞した方もいます。継続は力です。
 七夕の日に多久市で公立佐賀中央病院が開院しましたが、この病院には多久市出身の池田学氏の動物画陶板などのアート作品が飾られています。心地よいアートは癒しや元気に繋がります。
 子供たちの成長にもアートは欠かせないものです。また病気やけがをしていても「障害」があろうとなかろうとも、アート鑑賞や創作活動によって人は生き生きと生きて行くことができると信じています。

2年前からサポートしている鹿島のHさん。
6月、東京での展示風景
良くできています。
これも同じ
ようなものでしょうね。
https://captur3d.io/view/advalay-llc-2/heralbony-art-prize-2025
すごい、展覧会でした。
障害者アートも新時代。
2025.7.13平江

照之です

 A-FrameというJavaScriptライブラリを使って、バーチャル画廊を試作してみました㊗️取り敢えず、最近の投稿一覧に載ってる画像を飾っています。最初に小窓が表示されますが、HTTPS接続できないので、Cancelボタンをクリックして入室してください。左ボタンを押したままマウスを動かすと、鑑賞したい方を向きます。画像をクリックしたらスライドが表示されて、上矢印キーで前進、下矢印キーで後進することができます。マウスホイールで前進や後進ができたら良いんですが効きません。自由自在に壁面を増設して、第50回記念黄美展のバーチャル画廊を開設したり、常設展示でずっと黄美展を続けていくのも良いですね〜😙

2025.07.12

平江先生

 8月下旬から9月中旬まで、香川での学会や関西や名古屋に行きますが、その前後はほぼ大丈夫です。あちこちドライブしましょう〜

 4ヶ月連続、lacdaのグループ展に参加してます。facebookはずっと放置していて、messengerだけはLINEみたいに使ってますが、フライヤーの上から5番目のCate Wyatt-Magalianという人から友達申請が届いたので友達になりました。ググってみたら、ハワイのアーティストでした。

照之

2025.07.11

おはようございます。
照之君
永松君の個展の記録:紹介
ありがとうございます。
いつもながら、感心します。
休みに入ったら、また、お出かけしましょう。
平江潔2025.7.11朝

おはようございます。
照之君の観察力・洞察力・直観力に脱帽です。
今しがた気づきましたが2005年の4月19日未明(本当は18日深夜)に父は逝きましたが、その年に組長は胃を切除している。都先生の受診に付き添ったついでの診察で判明。私の父も環さんの受診の付き添いのついでで癌が見つかりました。8か月後までよく生き延びましたが・・・その前後に組長も・・・私が組長のお見舞いに行っていない理由がやっと解りました。ありがとう。2025.7.9

2005年金子剛先生胃癌摘出手術
執刀医:佐賀医科大学外科医:佐藤清治
2025年7月現在:公立佐賀中央病院医院長
「永松敏彦パステル画展」来場
院内ギャラリー始動
なんという、運命的な出会いと繋がり
人は人とつながって生きている・生きていく
2025.7.9平江潔

平江先生

 永松先輩のパステル画展から新たな展開に繋がりそうで楽しみですね。第四世代展、20年続いたAIS展など、定年退職前からのプロデュースが綿々と継続発展してる感じがします。画廊憩ひでの私の初個展のプロデュースも大変有り難かったです。

 昭和2年7月7日は西暦だと1927年7月7日で、もうひとつ7が含まれますね!

照之

本物と偽物について
―永松敏彦パステル画展のプロデュースを通してー

 5月中旬、田代利夫君から電話が入る。
 「・・・永松君が個展をするようです。画廊の予約もしてあるようです。・・・」?????
 5月31日、金子剛先生のアトリエで先生が裏打ちされた永松君のパステル画B5サイズを見せてもらう。
 あちこちに破れや汚れがあるものの(その傷みも含めて、作品として)
 軽い衝撃が走る。
 未だ、和紙に貼り付けられた作品を数点預かり、自宅へ持ち帰る。
 翌朝、二日酔いの心身を早朝歩きで回復させ、3点ほど額装を試みる。
 午後、金子先生に見てもらう。この後、永松家を訪問し、出品予定の作品を見せてもらい、平江が額装を請け負うこととなる。
頼まれたわけでもないのに、結果(ここ数年、同じようなことを繰り返している。)全プロデュースを決断。
 翌日、額装されていない約30点の作品をデータ化し、三日でフライヤー原稿を入稿し準備に入る。
 以下省略
 
 今回の展示作品のメインはパステルによる模写。そして、オリジナルの風景画や静物画。
 今まで、「模写」というのは絵の勉強のためにやるもので、「作品」としては扱われないもの、違うカテゴリーのものと考えていた。
 しかし、永松君の「模写」は「模写の域を超えた何か」を感じさせた。
 今回、彼の作品の整理や額装及び展覧会企画を勝手に引き受けた理由を彼の手記の中に見つけた。
 膨大な記録や学び、私的な記録も含めて、彼の誠実でひたむきな「絵との対峙」が、その模写群や作品に投影されている。
 たぶん、「模写」と「作品」は別次元のもので、作家のオリジナリティーが重要だ、という意見も多いだろう。
 それを認めたうえで。
 しかし、かの尾形光琳や酒井抱一は俵屋宗達の「風神雷神図」を模写したが、それを単なる模写として片づける専門家はいないだろう。
 否、俵屋宗達も三十三間堂の風神雷神像をモデルに描いたという説がある。
 印象派の画家モネも日本の浮世絵に影響を受け、ゴッホも自作に浮世絵を取り込んでいる。
 あのピカソだって、ベラスケスのラス・メニーナスを元に数十枚の絵を描いている。
 模写だろうが贋作だろうが「そんなの関係ねえ!」と言うのは言い過ぎかもしれないが・・・

 要は「その絵を作家がどのような思いで描き」「見る者の心にどう届くか」が重要であって、その手法やプロセスはほとんど意味をなさないということだ。

 所詮、私たちは100%の独自性などを持ち合わせてはいない。学ぶということは「真似る」ことから始まり、そこから逃げることも離れることもできない。
 ならば先人の遺した本物を自分の本物に仕立て上げていく努力をするしかないのではないだろうか。
 今回も多くの出会いや学びを得ることができた。もうしばらく、お節介を焼かせてもらおう。

2025.7.7 平江潔

昨日、無事に、成功裏に「永松敏彦パステル画展」完了しました。
2017年12月8日に林田龍信先輩が急逝されて、
2018~2019の「林田龍信回想展」
2020年「岩永京吉・金子剛二人展」
2021年「金子剛と三十人展」
2022年「小城で見つかった17枚の板絵展」「金子剛エイブル展」
2024年「追悼陣内久紹展」「金子剛原展」
そして、今回の取り組み・・・その間自身の個展やプロデュースも数回
定年退職してから、毎年のように大きな企画展をやってきました。
振り返るとよくもまあ・・・自分でもあきれています。
おかげで、貴重な経験の積み重ね、個々の知識や情報、抽斗の数と質
俯瞰的に物事を捉え、数歩先をイメージする
追い込まれた時にこそ、「人間」がみえる。
「唯一無二」の存在に近づきつつあることを感じます。
一人ではできないことばかりですが、一人でもやる覚悟の大切さと
自力より「他力」
何か大きなチカラに導かれている・・・そんな実感もあります。
とりあえず、明日からは「第50回記念黄美展」と小説「朝日」の完成をめざします。水曜日の「たんぽぽアート倶楽部」も手を抜きません。
2025.7.7 平江潔
ちなみに今日は2005年に亡くなった父の誕生日です。
父は昭和2年の7月7日に生まれ、77歳で旅立ちました。
ラッキーな人です。

昨日、多くの人たちの手により
永松君の個展飾りつけ終了しました。
良い感じの展観になっています。
7月6日(日)17:00までに
多くの方々に観ていただきたいと願っています。
また、知人友人同僚親戚家族等々・・・
紹介とお誘い、拡げてください。
2025.7.1朝 平江潔

永松敏彦パステル画展の額装が終わりました。
オリジナル(原画)38点
レプリカ約30点(レプリカは今後追加で準備)
販売用トートバッグ約30、ポストカード約30
作品や関連グッズ等の準備はほぼ完了
(来週末、大きな作品のクリーニング)
後はスライドショー、受付や掲示物、キャプション、販売用資料等の仕上げです。
作品を預かってから約2週間(途中東京旅行)
サンプル額装、ポスター、フライヤー、本額装、レプリカやグッズその他・・・
これまでの経験と積み重ねでさらにパワーアップしました。
(4回目の回顧展のキュレーション?)
永松君から預かった資料(日記等)を開き
今回の導きが腑に落ちました。
詳しくは、現場を確認してください。
良い展覧会になります。
平江潔2025.6.16
展示・受付のお手伝いができる人、募集中


2025.6.11 平江潔
梅雨に入りました。
今年も東京でモノスゴイ絵をアートをいっぱい観てきました。
さて、時差ボケも解消し、永松君の個展の準備に全集中。
今日は雨をかいくぐって、組長の依頼対応を兼ねてのアトリエ訪問後、主な場所に
フライヤーを配ってきました。
心ある方々のフライヤー配布協力と展示作業と会期中の受付協力
切にお願いします。具体的なことは平江か納富会長にお尋ねください。

照之です

 3ヶ月連続、lacdaのグループ展に参加してます。今回は22人、俺の画像はフライヤーの背景に選ばれず残念。

 先日、永松先輩の自宅で緊急面会、パステル画展がぐっと良くなる方向に進み良かったですね。昔、永松先輩んちのハウス栽培の苺をもぎながら食べたこと、俺が芸工大に落ちた時、永松先輩が佐賀高等予備校に車で連れてってくれて、その道中ずっと激励してもらい、授業料免除の特待生になれたこと、しみじみ思い返しました。

2025.06.05

フライヤー修正

ポスター

フライヤー試作

照之君色々とアップありがとう。
永松敏彦展の準備も急ピッチで進んでおります。
近々またよろしく。
平江潔2025.6.02

平江先生

 スライドショーの作成計画があったんですね。活動記録には載せていませんが、黄美会ホームページの写真がシャワーを浴びるように四方八方に飛び去る動画をモニターで上映してました。この動画です〜

照之

2025.5.24
今朝は雨のため朝歩きは止めて、MTHDの制作をやっています。
第40回記念黄美展の動画?
組長の講演は見ることができますが
そのほかにもあるのかな?
1日の企画会議で説明しますが、50年の軌跡と奇蹟スライドショーはつくります。ここの画像がとてもありがたいです。
平江潔

平江先生

 牛津中で出会って45年、ずっとアート活動してることが不思議です。多久のあちこちの壁に平江先生の作品を飾る時にドリルで穴を開けるのが気持ち良いです。今日の佐賀新聞ホームページに45回目磁場展の記事が載っていて、「凄い爺さんたちだな」と思いました。

 第40回記念黄美展の時に作った動画に、その後10年の写真を追加して、第50回記念の動画にしようかなと目論んでいます〜 アーカイブの写真がたくさんあるので見応えあると思います。

 昨日は想くんちでお祝いしてもらえて、木下家の野菜たっぷり料理にしみじみ感激、仕事帰りの想くんが赤マテ貝をゆがいてくれました。佐世保の針尾瀬戸というところでしか漁をしてなくて、弓矢みたいな道具で海底から獲るらしいです。濃厚な味で旨かったです。以前食べた何かに似てる味だな、何だったかなと記憶を辿ってたら、思い出しました! 大分で食べたカメノテだ。同時に食べ比べたら、違うかもです。

照之

2025.5.23
平江です。
6月1日(日)9:30~11:30の予定で
第50回記念黄美展拡大企画会議をゆめぷらっと小城で開催
参加予定のスタッフには事前に会議資料をPDFでお送りします。
できるだけ短時間でまとめたいと思います。
ちなみに昨日はデジタル担当(このHPの創始者)金子照之君の
58歳の誕生日でした。
牛津中で初めて担任した生徒たちがあと2年で還暦
時の流れとこれまでの積み重ねに改めて驚愕すると共に
続けてきたことの意味と続けられてきた幸運に
感謝せずにはいられません。
多くの人が去り、生き残った者の責任として
今度の記念展が最後の大きなイベントと覚悟して
全力を尽くします。
小説「朝日」順調に行を重ねています。
目標の10万文字を折り返しました。
10月までに脱稿します。


照之です

 4月に引き続き、5月もlacdaのグループ展に参加してます。今回は26人、いつかフライヤーの背景に俺の画像を使ってもらえるようになりたいです😙
 先日、電車を乗り継いで、あべのハルカス美術館の「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」を観に行きました。丁度30年前、資生堂デザイン塾に招かれて東京へ行った時、修市先輩から「Bunkamuraでやってる個展ば観に行かんばよ」と教えてもらったので行ってみたらフォロン展で、美術の教科書に載ってた「BLUE SHADOW」帽子男の右目が太陽みたいにこちらを見つめてるポスターがあり、今回も展示されてました。ブロンズ像や素描も良かったです。淡い夢のような優しい色彩ですが、うっすら虚無感が漂ってるなぁと思いました。

2025.05.01

照之です

 組長は奇跡的に免許更新できたんですね㊗️強靭な精神力?

 3月26日にlacdaのRexさんからグループ展への招待状が届きました。2019年に参戦した展覧会なので、また応募してみようかなと思ってたら、3日後にフライヤーが届き、募集期間だと思ってた4月3〜26日は展示期間でした。募集期間が凄く短かったなぁと思いきや、final callと書いてあり、まだ募集中?な感じで、投稿ページも稼働してました。まだ間に合うかRexさんにメールしても返信無し、投稿ページの作品解説欄に「まだ間に合いますか?」と書いて、ダメ元で作品データを提出してみたら、すぐOKの連絡があり、PayPalで代金$145を振り込んだら、更新されたフライヤーが届きました。出品者が14人増えて39人になってました。まだ増えるかも???

2025.04.02

照之君へ
昨日の新聞を見て、組長から電話がありました。
高齢者運転免許更新 高齢者講習 認知機能検査 合格したそうです。
おめでとうと言うべきか、そろそろと言うべきか
悩ましいところですが、近々合格祝いをしましょうと伝えました。
閑話休題
学君の35年前の唐辛子の絵は現在、北高に常設展示されていることを
猛君が知らせてくれました。
35年前、私は32歳、附属養護学校で3年目
血気盛ん、一番エネルギッシュに走り回っていた頃です。
あれから、本当に多くの経験と学びがありました。
今、向き合っている小説「朝日」はそれらの集大成と言えそうです。
もしかすると、このために生まれ生きてきたような気さえします。
そんな心境で生きていることに感謝です。
2025.4.1平江潔
嘘じゃないよう。
蛇足
朝日の写真、健吾君の絵と構図が同じですね。
ここにも朝日がありました。

平江先生

 1992年3月、北高で人物デッサンのモデルのバイトをした時、学くんがいたような気がしますが、記憶が曖昧です。私が小城高の美術の授業で描いた読書感想画が北高の美術室にあり、凄く懐かしかったです。

 春の青木繁の足跡と作品を巡るドライブ、楽しかったですね。小城の須賀神社と久留米の高良大社の長く急な石段が似てたり、河村美術館に17枚の板絵展と同じサイズの青木繁の絵があったり、青木繁旧居には精巧な模写が飾ってあり、古い屋敷を残してあるだけかなと思ってたので嬉しい驚きでした。

 3月下旬は神戸にいて、いろいろ廃棄したり、リサイクルショップに売ったりして、自宅をだいぶ片付けました。今朝、阪九フェリーで帰って来ました。写真は新門司港に到着直前の朝日です。右奥に北九州空港の先端、滑走路進入灯が見えて、どこかへ飛んで行きたい気分でした。海外展覧会の出品案内メールが2通届いたので、新たな挑戦しようと速攻で試作してみました👍

照之@住民票を移動して、今日から長与町民

2025.03.31

2025.3.31 おはようございます。
3月の投稿、内容から掲載されるなら、今日だなと思っていました。
一部修正されていましたが文脈は変わらず、赦す。
少しこだわりを持った文学的表現が削られているのは不満が残るが、致し方ない。
ちなみに後日談。もう一つの17。
2022年白内障手術後の「小城の17枚の板絵」
それがトリガーとなって、小説「朝日」を書き始めた。
現在文字数約40000
原稿用紙換算120枚
順調に進めば、お盆過ぎに目標の100000文字に達する。
先日、青木繁の生家や古湯、唐津の河村美術館を照之君と訪ねた。
絵も文も現地での取材が不可欠という、当たり前のことを再認識。
5感を研ぎ澄まして、削り出す。
そこにあるものを。
以下、今回の投稿の原文です。
「17」
 球春到来。今年も背番号17の大谷選手の活躍を期待する。
 サガン鳥栖は正念場。永久欠番の17はチームの設立に奔走した坂田道孝氏の命日。
 奥様は難聴の次男の言葉の恩師で、私とは県立ろう学校での同僚だった。お二人とも鬼籍に入られて25年になる。
 2017年県立美術館で池田学君の大個展が開催され9万5千人の来場者があった。会期中美術館ホールで学君と二人でのトークショーを担当したがあれから早8年が経った。彼は今海の向こうで波の絵の仕上げに打ち込んでいる。出会ったのは彼が17歳、佐賀北高2年生の夏休み。二人に共通する恩師金子剛先生を学校に訪ねると「平江君。多久から通っている生徒が来てるから絵ば見てくれんね。」そう言われ、美術室に行くと童顔の池田君が一人デッサンに取り組んでいた。傍らにあった彼の作品、B1パネルに3本、朱色の唐辛子が大きく描かれていた。わずか数分の会話だったが35年前の光景が目に焼き付いている。
私が美術の道に進むきっかけはちょうど50年前、17歳の冬。先生から背中を押されて佐賀大学へ進み、5年後美術教師となった。半世紀経った今も励ましを受けながら絵を描いている。
 3月は卒業の季節、友や恩師との別れは切ない。そして4月は進学や就職、始まりの季節の始まりだ。別れと出会いが交錯する。大切なものをなくしたり、夢をあきらめたりすることは辛く悲しい。しかし、何かを始めるためには何かを終わりにしなければならない。一歩前に進むために。
追伸
「第50回記念黄美展」の一次案内を本日から発送します。
たぶん最後の記念展になります。
生きているうちの告別式と考え、これまで疎遠だった人たちにも集ってほしいと思います。何事にも区切りは大切です。今を明日を精いっぱい生き切るためにも。

ちょっぴり、画面、グラデが、変わったぞ。
2025.3.24 潔

2025.2.23平江潔
おはようございます。零下の中でも毎朝5時20分から歩いています。
4時半に朝食をとり、新聞に目を通す日々です。
今朝の佐賀新聞に投稿文が掲載されました。
概ね、原文通りなのですが、「炭鉱夫」「炭鉱員」は「炭鉱作業員」に修正されていました。
多分?「炭鉱夫」は差別用語に近いのかもしれません。
私は当事者で「炭鉱夫」「炭鉱員」にはそれぞれ意味があるのです。
父は私が幼児の頃、非正規の炭鉱作業員から正規の「炭鉱夫」に採用され
その後昇進試験に合格し「炭鉱職員」(管理職扱い)になりました。
当時の炭鉱はきちんとした職種差別がありました。
炭鉱社宅にもお風呂にも。炭坑内町区も鉱員地区と職員地区に分けられていました。
差別以上の区別が常識でした。
その中で私は育ち、両親は鉱員と職員のはざまで苦労も多く、差別も受けてきました。
ことばは使い方次第で暴力にもなりますが、ややもすると、事実を曖昧にしてしまい本質を隠蔽します。若い編集者はそんな時代も事実も知らないのでしょう。想像する力も不足しているのかも知れません。多忙な仕事に追われて、AIの力を借りることも多くなるでしょう。多くの経験を通して、自分の頭で自分の言葉で語れる人間は激減していくでしょう。そんなことを歩きながら考えています。
以下、原文です。
「もぐら打ち」
1月の休日、地区の子どもたちによる土竜打ちが行われた。「・・・こんねん正月14日のもぐらうち・・・」
子どもの数が減り、以前は「男子のみ、年齢制限あり」が小学校低学年も加わり、女子の掛け声の方が力強い。
我が家は元炭鉱住宅街だが、周囲は農業を中心とする地域だ。同級生たちは毎年もぐら打ちで小遣い稼ぎをしていた。しかし、私たちは親が炭鉱夫なので「もぐらうち」はご法度だった。炭鉱員は地下深くにもぐり石炭を掘る。そのことから「もぐら」は炭鉱夫の隠語でもあった。よって「土竜打ち」は自分たちの親を叩く行為となる。
昭和47年炭鉱が閉山し、父も再就職した。時が流れ、いつからか 「土竜打ち」 が解禁、子どもクラブの年中行事となり私の息子たちも楽しく参加していた。
「叩く」といえば、中学校で新米教師のはしくれだったころに生徒に体罰を与えていた。模範となる先輩教師を真似しての「愛の鞭」は「愛のない無知」だった。
そんな私をM君の一言が変えた。生活指導の名のもとに体罰を受けた彼は数日後「なんで先生に叩かれたのか、わからんやった。」とつぶやいた。反発でもなく、抗議でもない。素直な一言が刺さった。
ちょうど新聞や書籍で体罰や校則について、自分なりに悩み考えていた頃だった。その日を境に体罰をやめ、授業での号令も止めた。幸いなことにその後の生徒との関係や指導に支障はなく、力に頼らない生徒との関りから多くを学んだ。
「体罰」は暴力でしかない、と今なら言える。決して自分の罪が消えるわけではない。ただ、教育にはゴールもなければ、時効もない。



追伸の追伸
今年の目標は
・小説「朝日」の10月脱稿
・第50回記念黄美展の企画・準備・デザイン
・SCOLCAFEでの展示(クオリティーを上げる)
・シリーズ「春の夢:秋の眠り」の制作~個展準備
・さがんアート応援団の活動 *アート教室の充実
どれをとっても容易なことではありませんが
昨年の経験と実績により、より具体的に明確に、「やればできる」
いつなにがおこってもふしぎではないいま
今日、できることに全力で。
2025.2.1 平江潔

2025は有言実行の年
プラス、思いつきだけでなく、計画性のある1年を目指します。
ということで、実は、先週思いついたのですが・・・
あっと言う間に、実行、第1弾
2023年の春からはじめたSCOLCAFEでのアート展示
今年は6期に分けて、きちんとやります。
平江潔
追伸
第50回記念黄美展の構想や具体的なプランも進んでいます。
16日(日)に基本構想会議をやりたいと思います。
黄美会会長、黄美会事務局、ご都合は?

おはようございます。
今年は少し気合を入れて、元旦に投稿しましたが
約3週間、今年はスタートから、ボツだなと思っていたら
今朝の朝刊に掲載。ほぼ原文通りでした。
小説「朝日」(300枚)を10月くらいまでに脱稿するという目標があるのですが
今年もぼちぼち投稿していきます。
以下原文です。
「巳年2025」
今年の干支は蛇。
ものごころついたころから蛇は苦手だ。
と言うより、嫌いだ。道端で似たようなロープを見つけただけでも鳥肌が立つ。その姿を想像するだけでも気が滅入るが「嫌い」と言えば相手を傷つけたり、不快な気持ちを与えたりするので、「苦手」と表現する。決して蛇に罪があるわけではないが旧約聖書でも良い役どころとは言えない。
蛇足になるが穴子も鰻も姿形は似ているが、こちらは好物だ。特に白焼きがベストでわさび醤油でいただくとついつい酒が進む。
酒好きを自認する私だがうわばみのように呑むことはない。ちゃんと休肝日も設けている。
生来長いものに巻かれることが嫌で仕事や人付き合いではずいぶん苦労もしてきたように思う。
ずる賢いくせにどこか馬鹿正直な面もあり、藪から蛇を出してしまうこともしばしば。トラブルメーカーと陰口をささやかれていたこともあったらしい。
また色々なことを思いつき、やりたいことが多くなり、あれにもこれにも手を出してしまう。熱しやすく冷めやすい性格からか、一つのことを粘り強くやり続けることができずに竜頭蛇尾に終わることも多々あった。
冬、ますます魚が旨くなり、日本酒も焼酎も手放せないがとぐろを巻いて周りに迷惑を掛けたりせぬように、今年は酒も人とも上手に付き合いたいと思う。
2025.1.20 潔

今朝も歩きながら、考えてしまった。

NBAの八村塁が日本のバスケットナショナルチームの在り方に一石を投じた。
彼はアメリカの地で一人で闘っている。
スポーツは個人の力が大前提で才能と努力によって結果や夢につながる。
大谷翔平は日本ハムファイターズで実績を積み、メジャーリーグへ挑戦した。
エンジェルスで大きな成果を収めたが彼の夢と目標は世界一になること。
そのためにドジャースへ移籍した。決して金や名誉のためではない。
とことん、野球が好きな少年のままなのだ。

スポーツは個人の力が基本。
2023年、萬年Bクラスの阪神が日本一に輝いたのも、個々の選手の資質が上がったからだ。
とは言え、野球もバスケットも団体競技だ。いくらものすごい選手がいても、チーム全体の力が組織的に機能しなければ望んだ結果にはつながらない。
大谷翔平のすごさは個の力はさるものの、チーム全体の力を底上げし、予想以上の発揮をさせた点だと思う。彼の存在と行動はメジャーリーガーさえも変えた。

展覧会は競技、試合と似ている。
個展は個人戦。グループ展は団体戦。
個々の力を基盤にそれぞれの出品者の力量や覚悟、加えて響き合いが展観を決定する。
闘うべき場所はギャラリーや美術館。
どのような大会に挑むかに似ている。
選手がいて、監督やコーチがいる。サポートスタッフや家族。応援してくれるサポーターの存在も有難い。
個々の選手の覚悟までを推し量ることは難しい。作品を通して力量を観るしかない。
現状のチームとしての力を考えつつ、大会や競技場を選択する。
闘う場所が決まれば、闘い方をイメージする。
どこで闘うか。いかに闘うか。
だれと闘うのか?をも自問自答しつつ。
「逃げ出さず、投げ出さず、腐らず、挑み続ける。」
「第50回記念黄美展」という大会が始まろうとしている。
私は闘う。挑み続ける。
平江潔
作品(タブロー)は試合(ゲーム)
勝ち負けはさておき、人に見せられる試合をするために練習がある。
エスキースやデッサン、そして素材や技法の研究
毎日の走り込みや素振りは欠かせない。
キャッチボールもきちんとできない者が試合に出られる訳がない。

謹賀新年
今日は黄美会の新年会
このHPの開設年2005年を懐かしく読みました。
あれから20年
2005年は母が突然逝ってから5年目
この年にゆっくり父が亡くなりました。
父が亡くなってからしばらくしてオープンしたようです。
来年は記念すべき50回目の黄美展
昨年一年間、とてつもないことをやり遂げた年でした。
おかげで、目も心も頭もクリアーになりました。
「達観」という言葉がぴったり。
思いつくことはできること。
これから1年間。
今年も思いつくことを全てやり切ります。
さあ!アートを楽しもう。
2025.1.3平江潔

照之です

 あけましておめでとうございます㊗️
 今年も自作プログラムでいろいろ描画したいと思います

 1970年の万博は記憶が無く、昭和百年を祝うみたいに再び万博開催、空飛ぶタクシーは楽しみでしたが、運航しないらしく残念。大型ドローンみたいな車じゃなく、ブレードランナーみたいな空飛ぶ車は無理か?

 長崎と神戸の往復勤務で春に7kg痩せて、秋に2kg太り、結局5kg痩せましたが、毎週のように飛行機に乗って景色を眺めるのは楽しいです。地面に貼り付いたような打ち上げ花火、雲ばかりで何も見えないなと思ってたら他の機体がくっきり見えたり、豪快にバリバリ光ってる雷雲、星空に夕陽みたいな月を見ました😙

 いよいよ来年は第50回黄美展、1人の教師とその教え子達による半世紀続く部活としてギネス世界記録認定されたら光栄ですね。

2025.01.01


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